同窓生の育った下北沢で20日(金曜)21日(土曜)の2日間、7時から9時まで阿波踊りがあります。高円寺,経堂、ほか沢山の商店街が集まり盛大に行われます。なつかしの街へ着てみませんか、幼馴染に会えるかも知れませんよ。また9月の第一土曜日曜の2日間お祭りがあります。今年は何十年ぶりに1番大きな御神輿が出ます、あまり重すぎてまた大きすぎて、担ぎ手が足りなかったそうな各町内会が応援して繰り出しますお楽しみに
21回生の桑原翠と申します。名はみどりと読みますが男です、これは親からの授かったので仕方ありません。卒業してから半世紀以上経ちましたが、会報が有ることすら知らず、初めて平成22年度同窓会報なるものを頂きました。中でも学童集団疎開の特集を読み目頭が熱くなるものを覚えました。雫石さんは同級生、野地君は幼友達で、お二人の寄稿文はまさに私の記憶に当てはまります、同年輩以上の世代であの戦争に纏わる話を抜きに語ることは出来ません。私は浅間温泉竹の湯、再疎開先は下伊那郡鶏足院。世田谷区大原町の自宅は戦災で全焼し仲間は離散して、同じ釜の飯を食った友とはその後疎遠となっています。この機会にその頃の思い出のきっかけになればと期待しています。現在私は引退後富山県で俄か百姓のようなことをやっています。
掲示板への書き込みありがとうございました。ささやかながらみんなで力を合わせて活動している同窓会に関心を寄せていただいてとても嬉しいです。雫石さんと同級生だとのこと、あの頃の方は戦災でちりじりになってしまってなかなか動静がつかめないのです。今回の疎開先を訪ねる旅には野地さんが大いに貢献してくれたのです。現在富山県に在住とのこと、たまには故郷、母校を訪ねられませんか。可能ならば企画いたします。
まことに懐かしい方からのメールを拝見しました。幼いころ みどりちゃん、みどりちゃんと言って一緒に遊んでいただいたことをよく覚えています。引越しをされる前のあの頃は観光荘というアパートにお住まいで(今は空き地になっています)隣の原っぱ(今は家がびっしり建っています)でよく草野球をしたものでした。10年以上も前に小生の単身赴任中に小生宅を訪ねて見えられたことも家人から聞いておりました。お元気のご様子なによりと存じます。こちらにお出での機会には是非ご連絡をいただき昔話をいたしたくお待ち申し上げます。
「荏原の娘」さん、メールありがとうございます。猛暑の中、あなたもお父様もお元気で何よりです。お父様にお電話した高見沢さんは私の友人です。5月に私たち83歳になる13回生の同期会を開きましたがその席で高見沢さんから、空襲で焼ける前お隣だった三品さんの思い出話を伺いました。年を経ても幼い頃の思い出は、みんな美しく懐かしいものです。お元気でね。お父様によろしく。
昨年父とそちらに伺った際は大変お世話になりありがとうございました。荏原の娘こと三品の娘です。その後同窓会報も送ってくださりありがとうございました。さて、2か月ほど前ですが、その会報を見て父の所にお電話を下さった方がいました。どうやら当時の父の家の隣に住んでいらっしゃった方で旧姓高見沢様とおっしゃる方だったのです。その方は父よりも一つ上で会長様と同じ学年とのことでした。父はその高見沢様としばらくお電話でしたが、懐かしいお話をさせていただいた様でした。年を隔てても現在まで第三荏原は廃校にならず、こうして同窓会が存在しているお陰でした。この同窓会を通じて、また一つ楽しみを父にくださいまして、誠にありがとうございました。会長様にも大変感謝していおります。それでは、暑いですが、お体ご自愛くださいませ。
今は北区の西ヶ原に住んでいます。色々と紆余転変の時代でしたが、結局のところ、薬剤師になって、薬局を五十年前から開業し、今は健康保険の調剤薬局をやっています。もう十年以上も前に北沢近辺を歩いたことがありましたが、すっかり変わってしまって、昔の面影はありませんでした。自分のためというよりは、従業員たちのために、まだ仕事をやっていますが、人間というものは不思議なもので、自分の年齢に対して、自覚というものがないのですね。満州国の哈尓浜の小学校や中学校の生き残りの連中と毎月第三土曜日には集まって、幼き頃の思い出話に花を咲かせています。なにしろ、第三荏原のときは切れ切れの記憶しかないので、担任の先生の名前も覚えていないのです。ごめんなさい。幼き日の思い出が復活したことだけを心の中にしまっておきます。ご盛会をお祈りいたします。
薬局を経営され、小、中の友人とも交流があって、お幸せな日々をお過ごしのご様子、何よりです。今後も健康に留意されてお過ごしください。たまには、東大原小学校同窓会のホームページを見て頂ければ幸せです。
僕は今85歳。入学はしたけれど、一年生と二年生、そして五年生と六年生の中途までの在校です。なぜ北沢にあるのに、第三荏原小学校か分からないままに過ごしてきましたが、そして、北沢小学校卒業の、年の離れた弟たちから呆け扱いをされてきましたが、急に思い立って、今日、ネットで調べて観ました。やっと分かりました。やはり、僕の思い違いではなかったんですね。226事件のとき、登校したばかりなのに、急に家に帰れと下校させられて、雪の道を滑りながら、竹薮やお不動さんの前を通って、北沢5丁目の寄留先の伯父の家に帰っていったことなど、懐かしく思い出しています。修学旅行で伊勢神宮等に行ったことや、その時によく顔を知らない学友ばかりだったので、他校の生徒の中に紛れ込んでしまって、担任の先生に心配をおかけしたこと等、この年になると、いろいろ思い出すものですね。
私は今年83歳、お便りのよれば85歳とのことですから2年先輩ですね。2.26事件は昭和11年2月で、私は2年生の終わりごろ、まったく何の記憶もありません。「雪の道を滑りながら帰った」とありますから、4年生の終わり、それとも、5年生なら私より3年先輩かもしれませんね。転校して卒業していないとのことですが、同窓会にはそういう方も一緒に会員として入っていただいています。今、どこにお住まいかわかりませんが、もし良かったら、東大原小学校をお訪ねください。この欄にその旨お知らせいただけば、ご案内いたします。私は13回生ですが、11回生の担任は藤谷、中田、杉本、川崎,北条、須田10回生なら柿内、松本、田使、川崎、須田の諸先生です。5,6年の担任を覚えていらっしゃいますか。
6月15日午後、母校東大原小学校の「道徳授業」の公開を参観してきました。どの学年、学級も、楽しそうに熱心に学習に取り組んでいました。その後、ランチルームで全体会が開かれ、私は久末校長先生に依頼され、非力ながら、同窓会長という立場でお話をさせて戴きました。母校の83年の輝かしい歴史を語り、それを引き継いでいてくださる先生方、職員の皆さんの努力に感謝し、御礼を述べました。50人以上かと思えるほど、たくさんの父母、先生方が私の話を熱心に聞いて下さいました。私は「子どもの教育は先ず家庭教育から・・」と述べました。その基盤に立って、学校での集団教育が行われ、地域の教育力がそれを推進し、円満な人格形成がなされるからです。 それにしても、今の先生方は大変だなあと思いました.学年が一クラスやニクラスでは、切磋琢磨しあい、協力し合う事も出来ないからです。少子化の時代ですが、せめて、学年三クラスの学校規模がほしいものです。その中でも手作りの教具を使って楽しい授業を展開している先生もいました。「いい先生ね」と親が子どもに暗示を掛けてこそ、教育はは成立します。そんな父母がたくさんいらっしゃるようで嬉しく思いました。
浅間温泉でお世話になった野本様よりお礼の手紙と資料が送られてきました。礼状を今日出しますが、内容については土曜日(5日)疎開先の写真を見るときに(会場、梶川理事のビル地下1Fダイス)お見せいたします。臼井理事も疎開先の研究の仲間が増え、北小、代沢小の同窓会の方とも横のつながりができつつある様子、これから縦横斜めの連携で安全安心の街図くり、子どもたちが楽しく暮らせる明るい街図くりができるとよいですね。これには校長も誘ったらいかがでしょうかと思いますが?
野本さんにお借りした「遠い太鼓」1巻と3巻、読み終わり、関連部分をすべてコピーさせていただきました。斎藤さんが幻の文献と言っていましたが、地元の小学生が疎開してきた学童をどう見て接していたかなどや、特攻兵士のことなどが書かれていて読み応えがあります。そろそろ原本は野本さんに返却しなければと思っています。
5月22日(土)快晴に恵まれて児童の手作りの旗がなびく校庭で春の運動会が開かれました。私は午後の部を応援しました。4月入学したばかりの1年生の「おどって玉入れ」が可愛らしかったです。5.6年生の「SORAN2010]は力強いソーラン節と組み体操がいっしょになっていました。5段の組体操が成功すると会場に拍手が沸きあがりました。同窓会では午前、午後と分かれて評議員、理事多数が参観して後輩の活躍を讃え、母校の発展を祝いました。親子三代の在校生も多数いらっしゃって、創立83年の輝かしい母校の歴史に更なる誇りと喜びを感じました。
5月15,16日、計画通りに松本、下伊那を訪ねました。一行12名、当時児童を受け入れていただいた「栄の湯」に宿泊、現地観光協会副会長,本郷市歴史研究家の野本氏の助言を受け,斉藤耕一氏作成の資料をもとにビデオによる学習会を行いました。臼井、神谷諸氏の緻密な計画のもと、自身1年生で疎開した野地氏の、行き届いた案内で、再疎開先の下伊那のお寺も訪ねることができました。前会長岩下参与もマイカーで参加いただきました。快晴に恵まれて行く先々から残雪の山々が遠望されましたが、当時の子ども達が親を思ってさびしくこの山を見ていたであろうと思い、胸がいっぱいになりました。同窓会の若い力が、このプランを見事に達成してくれたことに感謝しています。更に仕上げの企画もあり、この旅の成果をまとめあげていくことに努力いたします。ご協力ありがとうございました。
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