母校の歴史

第三荏原尋常小〜 東大原小〜 教育の推進・表彰

第三荏原尋常小学校からの歴史

1926年4月1日
(大正15年)
東京府荏原郡荏原尋常高等小学校(若林小学校)
大原分教場として開設児童数480名 10学級
1927年7月7日
(昭和2年)
東京府荏原郡第三荏原尋常小学校として独立
児童数801名この日を創立記念日とした。
1932年4月1日
(昭和7年)
児童数2,187名となり、守山小学校新設
800名が転校した。
1932年10月1日
(昭和7年)
校名改称
東京府東京市第三荏原尋常小学校となる。
1936年11月13日
(昭和11年)
校歌制定”朝夕あおぐ神山富士の 正しき姿 清らの心・・”80年を経た今も変わらず歌い続けられている。
1937年5月1日
(昭和12年)
児童数2,194名となり、北沢小学校新設
468名が転校した。
1940年7月23日
(昭和15年)
プール竣工
1941年4月1日
(昭和16年)
校名改称
東京府東京市東大原国民学校となる。
1944年8月13日
(昭和19年)
学童集団疎開 空襲の危険が迫り、長野県浅間温泉に疎開した。
1945年4月13日
(昭和20年)
浅間付近が危険になり、再疎開した。長野県下伊那郡山吹、市田、座光寺、上郷、喬木の5村。
1945年5月25日
(昭和20年)
空襲により校舎の3分の2と備品の大部分を焼失。
1945年11月23日
(昭和20年)
集団疎開解散で本校に復帰、教室不足で4年生は守山小学校の教室を借り、3年生以下は2部授業となる。
1947年1月13日
(昭和22年)
学校給食が始まった。